終わりよければ |
3
ジェットはピンピンしていた。片足をヒョコヒョコさせて部屋に入ってきて一同の気を引いたかと思うと、今度は突然ピンと飛び上がった。そしてチャック・ベリーの真似をしてさんざ跳ね回った後、 「おい、見るか、オレの足。」 と言った。 ブリテンがウェーッとアゴを机に乗っけ、他のみんなも聞かなかったフリをする。 ジェットは僕に近づいてきてもいちど言った。 「見たいだろ、ジョーイ、オレの足。」 誰も相手にしないのが気の毒だ。だって彼にしてみれば名誉の負傷なのだから。 「見たい。」 グッボーイ、グッボーイ、オーケーシッダンと言いながら、ジェットはソファーのいい場所に陣取って、足を卓に投げ出した。犬みたいな呼ばれ方をされたから僕は座りやしなかったけど、興味がない訳でもない。彼が裾をめくりあげるのを待つことにした。テロンとした生地の変なスラックスの下から出てきたのは、穴の空いていない大きな足だった。 それはピンク色をして、つるりとしてなんだか気持ち悪い。生えている筈の赤い毛が全くない。やわらかくて薄そうな皮膚なんだけれども、なんていうか…。じっと見ていると、いきなり足の指がイソギンチャクみたいにいじいじと動いたので、内心うわっと思った。 「な。ちゃんと動くだろ。」 「応急処置にしちゃ、随分上等だな。俺も今度そういうのにしてもらうか。」 その気もないくせにアルベルトが口を出すと、ジェットも調子に乗って 「博士の腕だよな。聞いてるか、ジョー。応急処置ってのは、ただパイプをしばるんじゃだめなんだぜぇ。」 「そう、もう一本につないで循環できるようにするんだよな。」 当時の目撃者としてピュンマも話に首をつっこんできた。いつもその話をしては嬉しそうな顔をする。 「これで日常生活には何の面倒もないわけさ。」 「これだけ立派な義足を用意したって事は、つまり気長に待てってことか。」 「うん、さっき博士のとこ寄ったら、時間かかりそうな事言ってたよ。」 「しばらく何も起こらないことを祈るだけだな。」 「なに、こっちのエンジンは無傷だから平気だよ。」ジェットが片方の足をポンポンと叩いた。 「実はこっちがききあしなんだ。普段はこっちをメインエンジンにしてる。」 「そんなもんか。」アルベルトもちょっと考えて「そうだな。俺も右足の方が弾丸切れが早いような気がする。」 本当だろうか。アルの話によると、時間に余裕があるときは左足のミサイルを右足に詰め替えてるそうだ。そんなの見たことないけれど。ジェットと二人苦労話で盛り上がっているから今更口を挟めない。 「それじゃ、両足についてる意味ねぇだろうが。効率悪ぃ話だぜ。」 「そうだなぁ。だがこればっかしは練習のしようがねぇしな。」 「そりゃ、金がかかりすぎるな。」 「実弾用意しなければいい話なんだが、結局、場所も確保しなきゃならねぇだろ?」 「無人島の海岸ならいいんじゃないか? それなら連れてってやるよ。俺もこっちだけで飛んでみようかと思っていたところなんだ。荷物があった方が練習になるし。」 「それは一石二鳥だな。」 「ああ。何なら今から行こうか。」 冗談じゃない! 片っぽのエンジンで空飛ぶなんて、もしものことがあったらどうするんだろう。この男は無鉄砲で何をやらかすか解らない。博士が徹夜で行ってる作業を全部無駄にするつもりなのか。それよりも僕はそれが原因で命を落としたやつを知っている。バランスを崩し、ぐるぐる回って岩に激突したあの姿を思い出しただけでもゾッとする。 「だめだよッ!」 慌てて止めるが言う事なんて聞きやしない。ジェットはいつだってそうだ。アルベルトもいつにない気持ちの悪い笑顔を浮かべて 「後から割り込もうったってだめだぜ、俺が先客だ。」 そんな馬鹿みたいな主張ってない。 「そうじゃなくって、だから…」 「悪いな、ジョー。練習飛行にはお前は軽すぎるんだよ。」 「危ないって…」 「馬鹿だな。だから練習するんじゃないか。」 「実際、僕は見たんだから! たまには言うこと聞けよ!」 アルベルトが合図みたいにジェットの肩をパシンと叩いた。「…だとよ。」 ジェットが僕を見てニヤリとし 「いつも心配してくれて、ありがとうなぁ。」 何のことはない。からかわれただけだった。 空飛ぶスーパースター、ジェット・リンクには休む暇もない。僕を相手にしている間にコトはちゃくちゃくと進んでいた。ブリテンが油性マジックを持って戻ってくる。愛想のよい笑顔だが、サインを求めてる訳じゃあない。 「うわあっ。何してる!」 「まだ何もしてないだろ。」ピュンマが言う。「ジョー、君も押さえるんだ。」 「無事直りますように。」ブリテンがペンのキャップを外した。 ギプスじゃねぇとジェットは騒いだが、008と009の力で押さえ付けられて手負いのサイボーグごときが抵抗できるものか。その間にブリテンは「速く走るやつは転ぶ」というシェークスピアの有名な文句をバラ色のオミアシに書き終え、ゆうゆうと顎をさすりながら自己評価した。 「セリフも警句扱いしちまうと、とたんに格が落ちるな。」 格はどうでもいいけれども、速いという言葉が気になる。 「それ、僕のことじゃないよね。」と確認すると、ブリテンはニヤニヤして 「残念ながら、お前が速く走ってるかどうかは俺には解んねぇんだな。俺が見る時、009はいつだってカタツムリみたいにゆっくりしてる。」 禅問答のような答えが返ってきた。言われてみると、僕も自分が速く走ってるかどうか確信が持てなくなってくる。こういう理屈にたどり着いた。新幹線の中で居眠りをする人間というのはええと…。 「役者の喋ることなんて信じるな、ジョー。奴等の言葉は全部フィクションなんだからな!」ジェットがわめいた。「お前、何でも簡単に納得しすぎだぞ。」 「いいこと言うぜ、ジェット・リンク。」ブリテンが答えた。なんだか頭がくらくらする。 ニコリともしないでアルベルトがペンに手を伸ばした。 「ともあれ、お前がジョーに説教するのは2000年早いぜ。Stecke dein Schwert an seinen Ort. 汝の剣をもとにおさめよ。少し大人しくしてろってこった。」 聖書の文句を自分の足に書かれ、ジェットはますます不満そうな顔をした。口の中でムニャムニャ、お前に言われたかないだの言っている。ありがたい言葉が書かれたなめらかな肌を見ているうちに耳無し芳一を思い出した。僕にサンスクリット語が解ってたなら、鼻先まで残さず書き付けてやるのに。そしたら少しは敵の目に立たなくなるだろう。 VIVE LE なんとかって書いた後、ピュンマが御丁寧に僕にもペンを回してくれた。仏教の経典を図書館から借りてこなくては悪いなと一瞬思ってしまったのが情けない。 「僕、そんな難しいこと書けないし、いいよ。」 「だったらお前、俺の名前、漢字で書いてくれよ。おい、そこのイギリス人、悪いが筆持ってきてくれねぇか?」 何故ここに筆ペンがあるのかが解らない。僕は墨で文字を書くなんてことは小学校以来やったこともないし。みんなが期待の目で見ているのでスゴク緊張する。どうしよう。だいたいジェットって当て字にならないよな。小さい「ツ」の字の処理なんてどうすりゃいいのさ。僕の知ってる限り、西洋人は画数の多い文字を好む傾向にあるから…自衛人…ダメだ。イメージから一番程遠い。 「ウワァッ! やめろよ、くすぐったい。」 けとばされて気が付いた。ジェットを筆でつついてたみたいだ。それもいわゆるナマアシの部分を。空気が変な感じになって、ちょっとシンとした。 どうにでもなれと思い、苦しまぎれにへのへのもへじを書いたら、ピュンマが 「やあ、それ、君の似顔絵かい。」 って真面目な顔で言うから嫌になる。 「なんだお前漢字書けよ。書けねぇのかよ。」 ぶしつけな言われ方には慣れているが、これは横柄を通り越して無礼だ。いや、彼はひどく疲れてるんだし、気が回らないのも無理もない。もちろん、今日のジェットなら多少わがままになる権利はある。 「学のねぇ日本人は話にならねぇなぁ。中国人呼んでこい!」 でも腹が立つ。イギリス人、日本人、中国人。言っとくけど、中国の簡体字ってのはアメリカ人好みの形からは程遠いんだからね。 張々湖はいつも堂々としている。やって来るなり、事情を呑み込んで「まかせるアル」と胸を叩く。僕のようなためらい傷もつけずに一気に筆を下ろし、料理人らしいつづけ字の達筆で書いた。グラフィカルで美しい墨の文字にアルが溜め息をつく。こういったところ、割と簡単な奴だと思う。ジェットが僕をつっついて、読みあげろと言ったがよく読めない。焼…豚…眉を寄せていると、大人が僕の顔を見上げて、 「ジェット・リンクアルネ」 と言った。ジェットが満足そうな顔をし、僕も胸がスッとした。さすが大人。全員の気持ちを満足させるなんて、僕には真似出来ない。うん。僕にはそういうの、無理なんだ…。 もくじへ ものがたりトップへ |
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