イエティのものがたり |
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ジョーの目当ては新しい乗り物である。自分でエンジンを組んで、こちらはジェットにプレゼントした。当のジェットはあまりお気に召さなかったらしい。パワーがショボイだの、安定性が悪いだのありとあらゆる文句をつけて、「でも素人にしちゃよくやったほうだと思う。ありがとな」と付け足しの礼を言う。あげく、しょげ返るジョーに気付き「気にするな。ギルモア博士に頼めばものの五分で修正してくれるさ」と無邪気に鞭を打った。 ジェット・リンクの評価が厳しいのは仕方がない。高性能のジェットエンジンをいつも扱っている人間には、他の乗り物は何もかもが鉄屑に見えるのだろう。贅沢な話だがもっともでもある。 他の人間ならありがたがるかもしれない。ジョーがそう考えたとしても無理はあるまい。まずアルベルトの顔が頭に浮かんだ。彼はいつも自分の移動手段に不満を持っていた。せっかく戦力になる自分がいつも002や009に遅れを取る。「加速装置がついていればなぁ」というのがそんな時の口癖だ。嫌味を言われても正直困るのだが、気持ちは解らないでもない。何ならこれをジェットから取り上げてアルベルトにやることにしよう。その前にもう一度テスト走行してみることにしたのだ。 空気は冷たいが落ち着いている。同伴者がフランソワーズなら天気や体力の心配をすることもない。世界一有能で頑丈なナビゲーターだ。自分の役割を知らぬフランソワーズが位置につき、ちょうどいい具合に車体が雪に沈んだ。 「どこに行くの?」 町中ならともかく、この雪に囲まれた世界では意味のない質問である。だがジョーには確固たる目的地があった。急斜面をこちらに見せそそり立つ、東側の小さな山である。女性に体重を聞くのは失礼なので想像で計算するのみだが、彼女を後ろに乗せてあの山を越える事が出来れば、004の重量にも堂々耐えられるだろう。そういう勘定だ。このマシンが僕のドリームE型、あの丘が僕の箱根。ありがちな幻想で頭をいっぱいにし、エンジンを掛け、きっぱりと自信を持ってフランソワーズの質問に答えた。 「あっち。」 「えっ、何?」 「あっち!!」 「エンジンがうるさくって聞こえないわ。」 言われなくたって解っている。003の耳さえ潰しかねない音。ジェットの言葉は比喩ではなかった。 乗り物はなんなく頂上についた。多少座席が振動したり、二、三度車体がひどく傾いてひっくり返りそうになったが、慣れればどうということもない。004ならそのうち乗りこなすだろう。考察が終わり、結果に満足したところでマシンを止める。そのとたんカウルの一部が雪の上に剥がれ落ちた。ピンク色の手袋がそれを拾ったので、ジョーは背中にしがみついていた小さな荷物をようやく思い出したのだ。振り返ると、フランソワーズはジョーの思惑も知らずにきちんと礼を言った。周りをぐるりと見回しながら伸びをしている。 「こんなに高いところまで連れて来てくれるなんて思わなかった。」 罪滅ぼしに「少し歩いてみる?」と提案してみた。すると青い目をキラキラさせて「ええ、ありがとう」とこれまた丁寧に答えた。 小屋にいる間、サイボーグ達は座って喋るより他にすることはない。だから逆にこの山の上では息を吸い、歩くこと以外何もしないのだ。二人でひたすらぽくぽく歩く。吹きだまりに足を取られないよう、時々フランソワーズが指示を出すが、それも肘を軽く触って注意を促す程度である。 小屋では黙っていることの多かったジョーの方が先に根を上げた。「ねえ」と声を掛ける。 「静かだね。」 「そうね。」 「雪が降ってる時って、雪の音が聞こえる?」 「ええ。」 話が途切れる。ジョーはもっと音を聞きたくなった。 「何か歌ってよ。」 歌う行為は深呼吸に似ている。喋るのを拒否したフランソワーズだが、この申し出にはニッコリと笑顔で応じた。空気を満喫できるとばかりに口を開いて歌ったのは 「すゅるぽん だびにょん ろにぱす ろにだす」 「それ、童謡じゃないか。」 「うぃ、とゅるこね?」 弾んだフランス語が返ってきた。知ってるよと日本語で答えるとフランソワーズは嬉しそうな顔をした。 すゅるぽん だびにょん ろにぱす ろにだす すゅるぽん だびにょん ろにぱす とぅざご れむすゅふぉこ〜むさ れだむふぉこ〜むさ 無音の世界に呪文のような言葉だけが繰り返されている。面白くなって大声で最後の単語だけ真似してみた。 「れ・だ・む・ふぉん…」 「こ〜むさ!」 フランソワーズの足が止まってビックリした顔をする。だがジョーの方は見ていない。ジョーの耳にも全く異質な音が聞こえた。遠くで何か大きなモノが動いて逃げ去ったのだ。 フランソワーズが迷いなくある方向へ歩き出した。当然ジョーもそちらについて行く。崖下まで来ると彼女が頷いた。 大きな動物が身を潜めてこちらを凝視していた。 変な化け物…と喉まででかかってやめた。あわててやめたので、代わりにおかしな言葉が口をついて出た。 「イエティだ。」 「イエティ?」 フランソワーズの青い目が面白そうにクルリと動いてこちらを向いた。こんな所にイエティがいる筈がない。それ以前にイエティがこの世に存在するかもかなりあやしいのに。 「子供ね。」 ジョーに対して言ったのではない。フランソワーズはイワンに向かうように屈み込んで、巨体を覗き込んでいる。 「だったら親が見ているかも知れない。」とジョーが厳しい顔をするが 「そう。向こうの方でこっちをじっと伺っている。だから子供だって解ったの。」003らしい落ち着いた声で答えた。 「帰ろう。」 「でも、009。このイエティ怪我をしているわ。」 ジョーが口走っただけなのに、フランソワーズは当たり前のようにイエティという呼び名を採用した。それはサイボーグをロボットと呼ぶようなものではないか? ジョーはこの間も嫌な相手に自分はロボットではないと説明したばかりだ。相手は時々その訂正を忘れたフリをして、要所要所でロボットという言葉を使った。帰り際にそいつに手を差し出すのは正直苦痛だったものだ。 嫌な思い出に気を取られてしまった。その間にもフランソワーズは相手の不機嫌をものともせず動物に近付いて行く。ハッとして 「怪我をしているならなおさら危険だ。」 「あなたがついてるから大丈夫よ。」 こんな状況で殺し文句を言われてしまった。どうすればいい? 空の色が変わり、雪がちらつき始めていた。 ケダモノはもう大人しい声を出してフランソワーズに鼻を突き出している。不思議なものだとジョーが覗き込んだら、たちまち目の色が変わり、唸る鼻息が強くなった。 女を挟んで睨み合う形になり、身構えたとたん「退がって」と逆に命令されてしまった。さすがにムッとして「君こそ退がらないといけない」と言うと「この子、あなたにおびえてるのよ」と叱られた。自分でもあんまりな言い様だと思ったのか、フランソワーズはもう一言付け加えて笑顔を見せた。 「だってごらんなさい、あなたの姿。毛皮だらけじゃない。」 動物から見れば、生首をネックレスにしたインドの女神様や沙悟浄もかくやといういでたちか。そんな馬鹿なとは思ったが、嫌われているのは確かだ。動物はフランソワーズに大きな耳を擦り付けている。少しで終わるという彼女の言葉を信頼して、ジョーは後ろで待機しつつ警戒することにした。 幸い親の近付いてくる気配は感じられなかった。だが気になるのはこの天気だ。 「あら、あら、あら。」というフランス語がジョーが見上げた灰色の空に響いた。 見るとイエティが向こうの方を走って行く最中だ。こけつまろびつという表現がピッタリであった。 「加速装置を使って逃げてったわ。かわいそうに。怖かったのね。」 フランソワーズは軽く言ったが、ジョーにはその冗談が身にしみる。自分がからかわれたようで嫌な気がした。 「直したの?」 「添え木を当てただけ。気休めよ。」 フランソワーズの声もジョーに劣らずそっけない。 「あれだけ素早く逃げたんだから大丈夫だよ。僕も経験者だから解る。」 フランソワーズの意図は解らない。彼女は「ごめんね」とだけ言って目を伏せた。 見ると首元がたよりない。しかしジョーはマフラーを使ったのかとは聞けなかった。上手に尋ねる自信がなかったからである。アルベルトの忠告がふと頭をよぎった。 防護服を着てくればよかったのだ。そうすればあのマフラーを無くすこともなかった。…そうだろうか。銃を身につけた自分達の姿を想像してみる。たとえ銃を手にしなくとも、あのイエティは死んでいたかも知れないと思った。あれはそういう服だ。そしてまるで唐突にだが、歌を歌うフランソワーズの顔を思い出した。 ジョーは出来るだけ優しい声を使って 「これは貸すだけだからね。」 と言い、自分のマフラーを彼女の首に分け与えた。 さっきはあんなに気持ちよかった空気が、重く氷のように厳しくなっている。ナビゲーターのおかげで迷うことなく元の場所に戻ることは出来たが、乗り物はかなり雪をかぶってしまっていた。これ以上ひどくなる前に急がなければ。雪を払い、かき分けて、フランソワーズに乗るよう促した。エンジンを掛けたが、マシンはスンとも反応しなかった。 焦ると往々にしてこんなことになるのだ。落ち着くための常套手段として、車体を点検する。先程落っこちたカウルの一部はイエティの治療に使ってしまった。ごまかす手段をなくした機械は、お粗末な内部をさらけ出し、いかにもみすぼらしく見えた。このがらくたを傾斜の始まる地点まで引っ張り上げなければいけないのか。氷をはがしながら思案した。フランソワーズの足ではここを登るには苦労するだろう。じきに後ろから迫ってくる夜の闇に追い付かれてしまうに違いない。 軽々としていた筈の荷物はすっかり重荷になってジョーの目を心配そうに伺っていた。 「乗って」と短く言って、再びエンジンを掛ける。往生際悪く、必死になって汗をかいた。一回、二回、三回。これが緊急時だったら、アルベルトは死んでいる。彼にこれをやろうなどと考えた自分の楽観主義に腹が立った。せめてアルベルト並みの判断力はつけたいものだ。諦めて歩こう。 そう判断した時、嫌な感じに車体が動いた。野獣の息が近くにあった。 「ママが来ちゃった。」フランソワーズが言った。 先程来フランソワーズはジョーに話し掛けていたのだろうか。ひとつのことに集中しすぎて周りに気付かなかった。戦場のアルベルトの話どころではない。今、ここでフランソワーズがケモノに背中をさらしている。全身に鳥肌が立った。不規則な力とタイミングで車体が揺れ、そのたびに前進している。ジョーの背中にかかった手にギュッと力が入った。 「大丈夫。僕が…」 「違うの。動かないでってこと。」フランソワーズが通信機を使って伝えてきた。 「僕が追い払う。」 「殴って?」 そのとおり。勿論殴ってに決まっている。非難する調子にジョーは腹が立った。この身体で「ばあ」と言えば、怪物が逃げるとでもいうつもりか。今は自分に出来ることをするのが第一だ。簡単に物事を済ませて何が悪い。報告の役目をおこたって、こうなるまで事態を放っといた人間に非難される筋合いはない。 「私は大丈夫。カウルにぶつかって来てるだけだから。」 こんなちゃちいカウル、役に立つものか。ちょっと風が吹いただけでペロリだ。だがフランソワーズの手はしっかりとジョーのコートを握っていて、立ち上がる為には振払う必要があった。そのひとつの動作が命取りになりそうで動けない。 「降りなきゃ。」 「せっかく子供を手当てしたのに、親に怪我をさせてどうするつもり?」 「うまくやるさ。」 「ダメよ。やり過ごすのが一番でしょ。」 「フランソワーズ。」 「しっ 黙って。聞いて。ううん、感じて。彼女のやり方。」 確かにさっきまで不規則だった力の入れ具合が規則的なものに代わってきているような気がする。 車体が少しずつ傾斜を登っている。フランソワーズが笑いをこらえているのが、背中からダイレクトに伝わってくる。 「どう? これって私達を運んでくれてるのかも知れないわ。」 「そんな笑い事じゃ…」 「あと少しで下りになるからじっとしてね。」 囁くように言ったかと思うと、あろうことかフランソワーズはアヴィニョンの歌を口ずさみ始めたのだ。ジョーの背中をポンポンと叩きながらなだめるように続ける。ジョーは全身の力が抜けそうになった。 「サイボーグも通る。イエティも通る。」 こむさ!のタイミングを計ったかのように、最後に大きく力が入ったかと思うと、乗り物は谷を滑り降りていった。 明るい笑い声が雪原に響く。フランソワーズがめずらしくはしゃいでいる。その声をかき消すのはもったいなかったが、ジョーは思い切ってエンジンを掛けてみた。 もくじへ ものがたりトップへ |
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